2012/02/14

学生時代の自分史

自分のことを整理しよう。

小学生の頃…
近くの米軍基地の英会話に父が通っていたのがきっかけで、私も遊びに行っていた。猫のトーマスが可愛かったなあ。恥ずかしがってあまり話さなかったけど、今思えばすごくもったいないことした。スーパーマーケットでお買いものしたり、レストランでマナーやチップのことを教えてもらった。米軍の夏祭りには引っ越すまで毎年遊びに行っていた。ステーキがほんとに美味しいの。空軍基地だったので、飛行機がズラっと並んでいたり、空中ショーがあったり。今思えば、この頃から飛行機が好きだったのかな。幼馴染の両親が音楽に精通していて、ピアノを引っ越すまでの小1~4まで習っていた。私に音楽的センスは全くなくて、音感もないの。でも表現することは好きだった。小4になって、クラブ活動を選ぶ時に、その幼馴染に勧められてブラスバンド部へ。楽器のことも詳しくなかったし、自分にどの楽器が向いているのかわからなかった。顧問の先生に「音楽の三大要素、リズム、メロディー、ハーモニーの中で、リズムをつくるのは打楽器しかないんだよ。」と言われたことがきっかけで、打楽器をやることに。これが、ほんとに楽しかった。音感がないので(笑)、管楽器は合わないんだろうな。小4半ばに引っ越しがあり、ピアノもブラスバンド部もここで終わり。

中学生の頃…
英語が好きだった。英語の先生がとにかく面白くて、優しくて、ゆるくて、1つの授業が終わる度に脳みそが組み替えられるような、良い授業展開をしてくれて、おかげで英語の成績は4か5だった笑。中学の部活は吹奏楽部でパーカッション。1年生の頃は吹奏楽コンクールで奨励賞というひどい成績だった。クラッシュシンバルが私の相棒でした。2年生になって顧問が変わり、厳しい先生だった。基礎練習を徹底して、身なりや挨拶に対しても、厳しく注意された。今までずっとゆるゆるしていた部活動がいきなり厳しくなり、反発もあった。中にはやめたいと言う人も。ミーティングもたくさんした。新しい先生になってからたった4か月で、夏のコンクールでは銀賞。基礎練習の重要さ、心持ちも一体感を肌で感じることができた。びっくりするくらいの成長ぶりに、全員が涙した。ただのんびり楽しく好きな音楽をやっていたのも楽しかったけど、気持ちがひとつになった時の感覚はその瞬間しか得られないものだと思った。3年生になって、金賞を狙っていた。先生の知り合いのパーカッション講師に来てもらい、表現方法を学んだ。ただの譜面上のフォルテはただのフォルテじゃないこと。心の持ちようが、ありありと出てしまう楽器。最後のコンクールは昨年同様の銀賞。大声で泣いて、抱き合って、喜びを分かち合った。『神が舞い降りる瞬間』ってこういうこと。一体感を創りだす。

高校生の頃…
すごく行きたい高校があって、一生懸命勉強していた受験期。公立高校は1校しか受験できないので、ランクを下げて受験、合格。第一志望もギリギリ合格ラインだったみたいだけど、危うい。高校に入ってからは新しく挑戦しようと、吹奏楽部でホルンを担当。初心者の私は、基礎練習もまともにやってなくて、全然自分のモノにならなかった。次第に自主性も失われていた。そんなわけで、すぐに部活をやめてしまった。合唱コンクールの練習で、クラスの男の子が担任の先生に向かって、ひどい言葉投げかけたことに衝撃を受けた。今思えば、すごく純粋だったんだと思う。中学も仲間に恵まれていた。入学してすぐから高校に希望が持てなくなってしまっていた。そんな中、友達にバンドを組む話を投げかけられ、ドラマーとして仲間に入れてもらった。私ができることは打楽器だと確信した。
父が出張や仕事の関係で、海外に行くことが多くなった。その度に空港までついていっていた。空港が好き。展望デッキで飛行機の離着陸を眺めては、その先にある出会いと別れ、再会、そんなことを想像して、よく涙していた。想像力豊かなんです(笑)。飛行機の機体のカッコよさといったら!空港の未来的なデザイン。空港で働きたいと思った。だからグランドスタッフになりたいと思った。かっこいい制服着て、笑顔でお出迎えする。空港は日本の玄関だと聞いたことがある。出会いのワンシーンにそっと笑顔を添えたい、それが想いだった。大学受験はトラベルやホスピタリティ関係の専門学校に行きたかった。両親には反対された。四大に行きなさい。私が長女であり、将来の選択肢の幅を広げるためにも、そう言ったのだろう。私はホスピタリティや観光が学べる大学を調べた。

大学入学後…
ものすごく行きたい大学が見つかった。ホスピタリティの大学。でも、希望は叶わなかった。今の大学は観光を学べるところを選らんだから、間違ってはないと思う。大学2年になり、日本学生観光連盟の存在を知った。知るのは遅かった。観光を学ぶ学生の横のネットワーク構築と学びを深めるための活動をしていて、ツーリズム産業に携わる方々をお招きして、ディスカッションを重ねた。大学3年に入り、嬉しいお誘い。大手旅行会社と合同企画を行わないか。もちろん参加した。大学、学年問わず8名の学生でチームをつくった。私たちは横浜地区の地域活性化をテーマに企画を考えた。現状分析、数値目標、企画提案。実践的に学べることがとにかく楽しかった。メンバーが集まれないことがほとんどでとにかく苦戦した。考えれば考えるほどに、視点が狭まってしまった。『点ではなく、面で捉えよ』旅行会社の方に言われたことで、本当の意味での地域活性化が何か今までわかってなかったと思う。もっと多くの人を動かす力を身に付けたいと思った。
3年の夏には1ヵ月間都内のシティホテルでインターンシップを行った。ホテルはホスピタリティの最高峰と言われているからである。しかし、私はお客様を目の前にする仕事ではなく、あえて客室係を選んで、お仕事をさせてもらった。ホスピタリティに関しては、意識高いつもりだったし、人が気がつかないことにも気がつく自信があった。だから、ホテルをもっとビジネスの視点で見ようと思った。客室に入ると、ホテル全体の動きを見ることができた。毎日の客室稼働率、フロントや他セクションとの連携、宿泊プランニング、部屋の特徴、ビジネス会議などでのつかわれ方、CSRなど。また、外国人宿泊客が多く、英語は毎日のように使う。話せるのが当たり前。書くよりもコミュニケーションが取れることの方が大事。仕事として働くということが具体的に実感できた。



そしていま、『心を豊かにする感動を創造し、ライフスタイルの質を高める』をテーマに就職活動中。

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